初めまして、塩田彰(Akira Shiota)です。
私、塩田彰(Akira Shiota)の人物像についての自己紹介とブログの説明を簡単にさせて頂きたいと思います。
塩田彰(Akira Shiota)のプロフィール

私、塩田彰(Akira Shiota)は、1975年8月11日生まれの47歳、茨城県出身です。
小さい頃は、友達と遊んだり、スポーツをしたり、イベントごとに参加することより、塾に通い勉強を熱心にし良い高校、大学、大手企業への就職を両親が引いたレールの上をただ走るタイプでした。
そのおかげもあり高校受験、大学受験も志望する所に入学することができ、大学卒業時には、大手企業にも就職が決まり、よく言えば順風満帆の生活を送っていました。
塩田彰(Akira Shiota)|自分の中で葛藤が始まる!
世間的には、何も不自由なく人生が歩めていて、学生時代から努力をした結果だから、何を悩むことがあるのだろうか?と疑問に思われるのは当然です。
ですが私は、幼少時代、学生時代にしかできないことをほとんど経験してきておりません。
両親が引いたレールの上をただ走っていただけに過ぎません。
大手企業に就職してからも、なんの変化もなく仕事をこなし、定時には会社を出るが、そのまま会社仲間と食事や飲み会に行く事もなく、直帰する生活がずっと続いていました。
大型連休、有休消化も特に何かするかと言われても、独身時代は出かけることはなく、外出しないといけない趣味は持ち合わせていなく本を読むことがほとんどでした。
ただ唯一何も考えずにドライブをすることが休暇時の外出するキッカケでした。
結婚をしてからは、子供ができおかげさまで外出する機会は増えました。
ですが、子供も大きくなるに連れて昔の外出しない自分に戻りました。
そんな中、このままマンネリした人生で一生を終えるのか?人生は一度きりではないかと考えるようになりました。
小さい頃から勉強をしてきたおかげで、社会人になってからも時間がある時には気になったことは勉強する習慣があり、株、仮想通貨、FXなどの資産運用について本を読み知識は人並み以上にはあり、第二の人生としてこれらをもっと勉強し、マネーコンサルタントとして人生を歩んでいこうと決意し、42際の時に脱サラをしました。
ですが、実際に脱サラを決意したのは、40歳の時でした。
40歳の誕生日を迎え、人生も残り半分まできているのかと考え始め、このまま定年退職まで働き、退職金と年金生活で老後は過ごしそのまま死を迎え入れる人生 親に引かれたレールの上を走り続けた人生、マンネリした生活でいいのかと考え、40歳の時に脱サラを決意し、42歳の時に脱サラをしたのです。
塩田彰(Akira Shiota)|脱サラし沖縄移住

42歳の時に脱サラし、マネーコンサルタントとして第二の人生を歩み始めましたが、初めは苦労ばかりしていました。
営業に回っても、マネーコンサルタントとしての経験はゼロだということで厳しい意見で追い返されたり、仮想通貨の信用性、信頼性が低く話しさえきいてもらえないことばかりでした。
ですが、それは初めの3年ほどだけで、会社時代の知人や友人からの紹介もありマネーコンサルタントとして第二の人生は両親が引いてきたレールから、自分が引いたレールの上をやっと走ることが出来たことが実感しました。
そしてマネーコンサルタントとして機動に乗り始めた頃、家族旅行で何回か行った沖縄の宮古島への移住を決断しました。
もし、会社勤めで、定年退職を待ち貯金、退職金、年金生活だけの人生を歩んでいたら、外出をあまりしない私が唯一外出したくなる宮古島への移住は絶対ありえません。
大好きな宮古島で第二の人生を過ごせてすごく幸せを感じます。
塩田彰(Akira Shiota)|ブログの説明
第二の人生として、沖縄の宮古島へと移住した私、塩田彰(Akira Shiota)の幼少時代や働きだしてから脱サラまでの詳しい紹介。
また、なぜ沖縄の宮古島を選んだのかを詳しく紹介し、宮古島へ移住をし個人的にお気に入りのスポットや、宮古島のおすすめ料理を紹介し魅力を共有していきたいなと思います。
私がなぜ宮古島が好きになり、移住するまでの決断をくだしたのか理解していただけるブログになっています。
塩田彰の宮古島のセカンドライフの様子もぜひご覧になってみてください。