働きだして脱サラまで

私、塩田彰(Akira Shiota)は、1975年8月11日生まれの47歳、茨城県出身です。

小さい頃は、友達と遊んだり、スポーツをしたり、イベントごとに参加することより、習い事に通い勉強を熱心にし良い高校、大学、大手企業への就職を両親が引いたレールの上をただ走るタイプでした。

塩田彰の少年時代について詳しくはこちら

そのおかげもあり高校受験、大学受験も志望する所に入学することができ、大学卒業時には、大手企業にも就職が決まり、よく言えば順風満帆の生活を送っていました。

そんな私が何故脱サラをし他のかを紹介していきたいと思います。

少年時代は内気な性格で、高校に入ると少しは自分が思っていることが言えるようになりましたが、やはり両親には逆らうことは出来ませんでした。

塩田彰(Akira Shiota)の学生時代

高校時代は、少年時代の内気な性格が少し治り、学校帰りは友達と帰宅することもあり、休日には習い事がない日は待ち合わせ場所を決め、遊びに行くことが増えました。

大学入学後は、高校時代ほどではないが、それなりに人と話す回数は増えたが、休日に遊びに行くこともなく、大学のレポートや授業の復習に没頭していました。

勉強は嫌いでは無かったので苦にはなリませんでしたが、本心は友達と遊びに行ったりしたかったです。

ですが、少年時代から言われ続けている両親からの教えもあり、ずっと従ってきましたし、やはり逆らうことも出来ませんでした。

塩田彰(Akira Shiota)が脱サラした理由

世間的には、何も不自由なく人生が歩めていて、学生時代から努力をした結果だから、何を悩むことがあるのだろうか?と疑問に思われるのは当然です。

ですが私は、幼少時代、学生時代にしかできないことをほとんど経験してきておりません。

両親が引いたレールの上をただ走っていただけに過ぎません。

大手企業に就職してからも、なんの変化もなく仕事をこなし、定時には会社を出るが、そのまま会社仲間と食事や飲み会に行く事もなく、直帰する生活がずっと続いていました。

大型連休、有休消化も特に何かするかと言われても、独身時代は出かけることはなく、外出しないといけない趣味は持ち合わせていなく、少年時代からの趣味である本を読むことがほとんどでした。

ただ唯一何も考えずにドライブをすることが休暇時の外出する楽しみでした。

その後は、今の時代ではあまり聞かないお見合いでお嫁さんを頂き、子供も授かり外出する機会は増えました。

ですが、子供も大きくなるにつれて昔の外出しないで自宅にこもる自分に戻りました。

そんな中、このままマンネリした人生で一生を終えるのか?人生は一度きりではないか、

小さい頃からずっと両親の言いつけを守り、引かれたレールの上を走っているだけの人生で過ごしてきたまま生涯を終えてもいいのか?と考えるようになりました。

そして小さい頃から勉強をしてきたおかげで、社会人になってからも時間がある時には気になったことは勉強する習慣があり、株、仮想通貨、FXなどの資産運用について本を読み知識は人並み以上にはあり、第二の人生としてこれらをもっと勉強し、マネーコンサルタントとして人生を歩んでいこうと決意し、脱サラをしたのが42歳でした。

脱サラを決意したのは、40歳

実際に脱サラを決意したのは、40歳の時でした。

40歳の誕生日を迎え、人生も残り半分まできているのかと考え始め、このまま定年退職まで働き、退職金と年金生活で老後は過ごしそのまま死を迎え入れる人生でいいのかと考え初め、上記でお話した通り、マネーコンサルタントとして第二の人生を歩もうと決意しました。

ある程度の知識はありましたので、さらに深く勉強するため様々な講習会に行ったり、本を購入し、実際に自分でも資産運用を試してみたりしました。

第二の人生で宮古島を選んだ理由はこちら

少年時代の紹介

私、塩田彰(Akira Shiota)は、1975年8月11日生まれの47歳、茨城県出身です。

小さい頃は、友達と遊んだり、スポーツをしたり、イベントごとに参加することより、習い事に通い勉強を熱心にし良い高校、大学、大手企業への就職を両親が引いたレールの上をただ走るタイプでした。

そのおかげもあり高校受験、大学受験も志望する所に入学することができ、大学卒業時には、大手企業にも就職が決まり、よく言えば順風満帆の生活を送っていました。

そんな、私の少年時代を紹介していきたいと思います。

塩田彰(Akira Shiota)の少年時代

私、塩田彰(Akira Shiota)の少年時代は、友達と外で遊ぶタイプではなかったのです。

どちらかというと内気な性格でした。

両親に逆らうことはなく、言いたいことは言えない性格で、両親が引いたレールの上を走り続けていました。

本当は、外で友達と遊びに行きたかったが、内気な性格な上自分から誘う事もなく、友達の輪の中に自ら入りに行くことはありませんでした。

学校終わりは、そのまま帰宅をし習い事に通うか宿題をし、一人で本を読んだりしていました。

そのおかげもあり、受験には困らず自分のいきたい学校にも通うことが出来ました。

塩田彰(Akira Shiota)の高校時代

受験には困らず自分のいきたい高校に通うことが出来ました。

高校は規則が厳しく今で言うバイトも禁止されており、学外経験や学外の友達と出会うことはなく高校生活は終わります。

少年時代は内気な性格で、高校に入ると少しは自分が思っていることが言えるようになりましたが、やはり両親には逆らうことは出来ませんでした。

ですが、内気な性格が少し治り、学校帰りは友達と帰宅することもあり、休日には習い事がない日は待ち合わせ場所を決め、遊びに行くことが増えました。

私が学生の時代は、今では常識になっている携帯電話、スマートフォンは流行しておらず、学校で日時を決めるか直接家に行くかの時代でした。

高校での行事にも自ら積極的に参加をし、内気な性格も少しはマシになってきたのが高校時代でしたが、大学受験のシーズンになり勉強に打ち込み始め友達とも遊びに行くことはなくなり、また昔の自分に戻り始めていました。

塩田彰(Akira Shiota)の大学時代

昔の内気な自分に戻り始め、外出をする事もなく、直帰する回数が多くなったことにより大学受験も無事に合格することが出来ました。

受験合格後も、特に昔みたいに友達と遊びに行く事もなく、勉強は続け休日も出かける事なく本を読む生活がほとんどでした。

大学入学後は、高校時代ほどではないが、それなりに人と話す回数は増えたが、休日に遊びに行くこともなく、大学のレポートや授業の復習に没頭していました。

勉強は嫌いでは無かったので苦にはなリませんでしたが、本心は友達と遊びに行ったりしたかったです。

ですが、少年時代から言われ続けている両親からの教えもあり、ずっと従ってきましたし、やはり逆らうことも出来ませんでした。

そのおかげで、志望する大手企業に就職することができたわけです。

社会人になった塩田彰(Akira Shiota)

晴れて社会人となった私は、何不自由なく生活を送っていました。

20代後半には今ではあまり無いかもしれませんが、お見合いという形でお嫁さんを頂き、子度にも恵まれました。

誰がどう見ても順風満帆な人生を歩んでいます。

ですが、あるタイミングで私は大きな決断をします。

それは脱サラをし、マネーコンサルタントとして沖縄の宮古島で第二の人生を歩み始めるという決断です。

働きだして脱サラするまでの決断や、なぜ沖縄の宮古島で生活を送ることに決めたのかはまた紹介していきます。

塩田彰の半生「働きだして脱サラまで」はこちら